ジャニー喜多川氏の児童性加害について、相変わらずマスコミのスルーは続いている。一方、北村春男弁護士が「ジャニー喜多川氏の性加害」について、3本のYouTube動画を出していたり、中田さんの動画は380万回再生を記録(5月2日16:00)していたり、ネットでの注目は続いているようだ。
ただ…、確かにマスコミの罪は重いが、核をなす「ジャニー喜多川氏の加害行為は、どういうもので、どれほど重い罪だったのか」についての論議は、深まってはいないように感じる。
かくいう私自身も整理できているわけでない。
それぞれへの多少の違和感や危惧を上げておきたい。
まず、前回のブログで私が称賛した「マイコーりょうさんの告白」について
マイコーさん自身は、合宿所への宿泊経験はなく、ジャニー喜多川氏に性的に襲われたことはなかったと語っている。そのうえで、被害に遭った(かもしれない)jr.について、「自分から進んで(ジャニー喜多川氏と)関係していた」と述べていること。
確かに、ご両親から「合宿所に泊まらず、家に帰ってきなさい」と守られていたマイコーさんにはそう感じられたのかもしれないが、こういう評価を今の段階で発表することは、被害者にとっては抑圧的に働くと思う。
少なくとも、被害者の自尊意識を育てるためにはマイナスになる。
マスコミがまともな評価をして報道することと並んで、私自身は、被害者が自分と向き合い、カミングアウトしてほしいと願っている。それが性虐待からの回復には欠かせないと確信しているからだ。
被害者のケアを阻害する動き、発言には慎重であってほしい。
もう一つ、ジャニオタのchidaさんの動画。事務所の対応に不信を抱きつつも、jr.が受けた傷を過小に評価することで、ファンとしての辛さを軽くしているような発言があった。
「ジャニーさんのエピソードを話しているときの、楽しそうな、愛おしそうな姿、あれは嘘なのか。権力に屈服している姿なのかというと…それは疑問」
そんな一面があるからと言って、「大した傷ではない」ように受け取るのは間違っていると指摘しておきたい。
私が性被害を受けた相手は、片思いだった男性で、泥酔して意識のない状態で性行為に及ばれた後、私は、「これは、完全に同意のある性行為だ」と捉え、レイプであったなどと、つゆほども思っていなかった。その後、同棲期間中に暴力を振るわれたり、まあ、他にもいろいろあって、「もしかして、この人、私を虐待している?」と気づき、それまで見えていた景色がひっくり返るような経験をした。
ただ、そういう風に気づき始めても、「いや、彼にとって私は、特別に気を許せる存在なんだ。だからゾンザイに扱ったりするんだ。謝るときのお茶目な態度を覚えてるでしょ」とか、彼の行為を正当化したくなる自分がいた(絶対に許さない!報復したい!という自分も勿論、いた)。
心にいろいろな層があり、第一層では許せる、第二層では、嫌悪している、第三層では愛着があり…と、混乱していた。
当時、私はある集団に所属していて、暴力を振るわれていたので顔にケガをしたこともあり、友人が彼を問い詰めてくれた。その友人たちは、「あんな奴、絶対、許してはいけない!」というのだが、他の複数の女性からの告発もあり、彼も自分の酷さに気づき始めていた。それまでの溌剌とした元気良さは消え、風船が萎んでしまったような、惨めな姿に、容姿がまず、変わってしまった。
それを見て私は、このぺしゃんとなった風船は、「あなたが行った虐待は、私をどれほど傷つけ、辛い気持ちにさせ、無力感に陥れ、やる気を阻害してきたか」加害のすべてを理解することでしか満たされないのではないか、と思ってしまった。
つまり、私は被害者である自分こそ加害者を救えると思ったのだ。
これを読む人は、違和感をもつと思う。被害者と一対一で向き合い、反省できる心理にあるなら、加害者になどなるわけはない。それも真理だ。でも、それでも…と私は思う。
私は子どもの頃から「お利口さん」で、過剰適応してしまう傾向にあるのかもしれない。
とにかく、自分の惨めさを直視し、それを受け入れるのは、とてつもなく辛い。加害者と人間関係があったりすると、すぐ「特別な絆」の発見に逃げたくなる。
カウアンさんは、刑事告訴することは考えておらず、ジャニー喜多川氏への感謝の念を今も抱いているという。今、彼はそう思っているということだ。それはこれから、変わることもあり得ると思っている。
北村春男弁護士の動画
ジャニーズ性加害問題 ジャニーズvs週刊文春 - YouTube
chida / ジャニーズ大好きお兄さん 自称ジャニオタの方の動画
今回の告発への事務所の対応に問題ありとしながらも、jr.たちのジャニー喜多川氏への好意に嘘はないのではと捉えている。