m-editの日記

加計学園問題を普通の女性として追及していきます。

森友文書改ざんは、可能性だけでも許せない

 国民の疑問はどうでもよいのか

 3月2日に朝日新聞が一面トップで「森友学園との決裁文書改ざん」の疑いを報じた。以降、国会でこの報道の真偽というか文書の改ざんがあったのかどうかについて財務省理財局への野党の追及が続いているが、そうした中で一部の識者からは「報道の真偽は朝日新聞が立証すべき」という意見が出されている。まったくナンセンスな話だ。

 というのも、この近畿財務局における決裁文書は、国会の開示請求によって議員すべてにコピーが配布されている。朝日の報道は、その配布されたコピーが、原本の真正な複写ではない可能性を報じたものだからだ。野党が追及しているのもその一点に尽きる。「原本と国会での配布物は同一なのかどうか」だ。

 契約を交わすための決裁文書は通し番号を打ち、そうした文書だけをまとめたファイルで当然、管理されているはずだ。3月2日から5日間をかけても探し出せないといったややこしいものではない。麻生大臣が「全省あげて調査」などと息まいているが、そんな大層な調査をせずともファイル棚からスッと手に取るだけのこと。それこそ1分もかからない。

 逆に、「全省あげて」しているのは、朝日が「何をどこまで掴んでいるのか」「物証は渡っているのか」等々、決裁文書の改ざんをなかったことにするための「調査」としか思えない。そもそも決裁文書の訂正などあってはならないものなのだから、調査以前に「改ざんなどあり得ない」と断言すればよいだけの話。断言できないことが決定的におかしい。

 実際、野党による財務省ヒヤリングを見ると(財務省の回答がダラダラしていて腹立たしいが我慢して聴いた)、改ざんの報道があったページについて以下のことがはっきりした。

 ①国会議員がもっている文書には、確認の印(他のページには、各行にマーカーによる点がある)がない

 ②3月5日に近畿財務局で自由党森裕子議員が入手した原本の写しには、確認の印がある。但し、その印は「✔」であった

 

 一見、小さなことに感じるが、「原本の写し」といわれるものにはついている「✔」が、国会に提出された資料には「ない」というのは相当、不自然なことである。国会に出すものを「美しく」する必要がそのページだけあったということを示唆しているからだ。

 もしも、朝日新聞の暴走だったと落着したとしても、財務省のこの数日の対応はあまりにも怪しく、疑問を増幅させるばかりだ。一片の誠意も感じられず、国民を愚弄しているとしか言いようがない。

 こんな役所、こんな官僚、こんな政府で、この国はやっていけるのだろうか。