m-editの日記

加計学園問題を普通の女性として追及していきます。

議事録の公表は部分的にすぎない

特区諮問会議に「一点の曇りもない」はでたらめ

 加計問題について、加戸元知事と並んで安倍首相が頼りにしているのが諮問会議議長の八田達夫氏だ。加計学園の選定過程に不正はなく、議事録を読めば「一点の曇りもない」ことがわかると言うのだが、残念ながら議事録は公開されておらず、公開しているのは議事要旨であり、それも国会で福島議員が追及を始めた3月以降、獣医学部新設に絡んだ回に限られているというのが実情だ。

 議事要旨がどの程度、公開(国家戦略特区のホームページにアップされているかどうか)されているかは、情報クリアランスのホームページに詳しい。

【レポート】国家戦略特区の決定プロセスの情報公表状況をまとめました | 情報公開クリアリングハウス

それにしても…、安倍首相も竹中平蔵もワーキンググループの原英史も特区のホームページを見ればすぐに明らかになる嘘をよく平気でつくものだと呆れる。

 「一点の曇りもなく公開している」と強弁すれば、国民は確かめたりせず信じるものだとみなしているのだろうか。舐められたものだと思う。

加戸元知事の発言は傾聴に値するのか

加戸元知事の加計学園歓迎は、新都市構想の失敗を隠すため

 加計問題を意図的に軽視する人は、「地元が熱望している」あるいは、「四国に獣医学部は必要」という。このブログでは、畜産業の現状を統計で紹介(傾向として、ゆるやかな減少にある。第一次産業の宿命といえる)し、四国に獣医学部が必要とまではいえないことを立証してきたが、今回は地元の熱望について調べてみたい。

 15回断られても諦めなかった等、地元の悲願のように語られることがあるが、実際はどうだったのか。加戸元知事の在任は、1999年1月28日から2010年11月30日、この間、獣医学部を誘致する背景としてどんなことがあったのか。地元、松山大学の教授が今治新都市構想の推移を紹介している。

「地元からみた獣医学部新設問題」松山大学教授・市川 虎彦 | 論壇

 

 市川氏によると、1986年に発表された「今治新都市構想」は、1983年~1985年の予備調査が土台となってフレームが組み立てられたが、将来推計が根本的に破綻しているにもかかわらず、修正を試みることなくスタートした。修正の機会は何度かあったにもかかわらず(推計では右肩上がりで増加するはずの人口も工業出荷額も現実には減少したので)、スピードダウンはしても大きな変更を加えることなく今日に至っている。

 決定的だったのは、2003年に松山大学が総合マネジメント学部の新設を断ったときだ。このとき、今治新都市構想を根本から見直さなかった首長の責任は重い。今治市の財政はひっ迫している。獣医学部に公費を投じる余裕はないと思える。

 今治市の96億円は、獣医学部の新設よりも財政再建や住民サービスの向上に投入されるべきだ。

webRONZAで憲法と生涯学習を語った前川さん

今こそ、前川喜平さんの憲法観をかみしめる

 子どもの貧困や朝鮮学校の授業料無償化について発言してきた前川喜平さんが、かなりまとまったインタビューに応えている。前半は加計問題における官邸からの人格攻撃についてで、これもとても重要なのだが、今回は割愛することにした。

 憲法歴史教育について、現在の改憲派への批判が述べられている。前川さんの講演録を聴くと改正前の教育基本法前文を引用していることがあるのだが、このインタビューでその理由がわかる。前川さんは、第二次安倍政権下で教育基本法の改正作業に携わった当事者でもある。つまり、相当に不本意な作業だったことだろう。と、またまた前置きが長くなったが、引用してみたい。

(聞き手 WEBRONZA編集長・岡田力)

 

増える「権力に操られる国民」 感じる1930年代的危機感

 

―前川さんは「1930年代に近い状況が生じる危険性がある」と発言していますが、理由はなんですか。

 

前川 1920年代というのは世界的に見て、1928年にパリ不戦条約が成立し、なんとか平和を維持できるのではないかとか、民主主義が根付いていくのではないかとか、人々がそういう気持ちを持っていた。日本でも大正デモクラシーがあり、政党政治も成立した。ドイツにもワイマール憲法があったし、ヒトラーはまだ出てきていなかった。人々が自由や民主主義や平和というものが何とかなるのではないかという希望を抱いていた時期だったと思います。

 

 それが1930年ごろを境にあっという間に暗転していきました。そういう危険って今もあるのではないかという気がしています。自国中心的な考え方がどの国でも強まってきているし、権力とメディアの関係も危うい国がたくさんあります。中国やロシアは自由や民主主義があるかと言えば、ないですよね。国民が民主主義を維持する担い手としての意識を十分持っていない。そういう国民があちこちにいる。権力に操られてしまう国民が出てきてしまう危うさがあります。日本もその危険性があると思います。特に10代、20代の若者、特に男子に危ないものを感じています。

  最近、外で声をかけられることが多くて、20人中19人までは好意的なのですが、好意的なのはほとんどが高齢者で、その大部分は女性です。ただ、1人くらいはネガティブなことを言う。「調子に乗るんじゃない」とかね。これは若い男性です。強いリーダーのもとに居たいという気持ちが強いのでしょうか。安倍さんはずっと強いリーダーを演じてきていると思います。言葉も刺激性が強い。アジテーションのような言葉が多いですよね。「1億総活躍」とか、「人づくり革命」とか、「岩盤規制にドリルで穴をあける」とかね。「レッテル貼り」とか「印象操作」と非難されますが、それを(安倍さんが)やっているでしょうと。岩盤規制という言葉でどれだけ泣かされてきたことか。そういう1930年代的な危うさを感じています。

 

70年持ちこたえた憲法 国民主権はかなり脆弱

 

―前川さんはいまの憲法を大切にしていると聞いています。

 

前川 僕は日本国憲法というのはものすごく大事だと思っています。だから少なくとも、今改憲しようと言っている人には改憲してほしくないですよね。憲法改正というのは、憲法を現代的なものにするためならいいですが。

 

 例えば、憲法では「すべて国民は」から始まっている条文と「何人も」から始まっている条文があって、人権の中には日本国籍を持っている人以外には保障されないものがあるという考え方があるわけです。憲法26条も「すべて国民は」から始まっています。そうすると在日朝鮮人の学習権は認められないとか、教育を受ける権利は及ばないとか、そういう議論をする人がいます。人権は人間であれば必ず保障されるようにした方がいいと思います。ただ、今改憲しようとしている人たち、特に自民党改憲草案を作った人たちには絶対に改憲してほしくない。

  だけど、日本国憲法を支えている国民主権はかなり脆弱だと思います。主権者としての自覚に欠けるというか自覚が不十分なまま来てしまっている危険性があるのではないか。それでも今の憲法は70年持ちこたえています。大日本帝国憲法より長く生き抜いていますから、結構がんばっていると思いますね。

  日本とドイツを比べたとき、日本の脆弱さを感じます。ドイツは1920年代に、当時最先端と言われた民主的な憲法を持っていたけど、そのワイマール憲法の中からヒトラーを生み出してしまった。民主主義が独裁主義を生んだという痛恨の歴史を持っています。その独裁はとてもとても考えられないような人道に対する罪を犯して、全世界に顔向けできないことをしてしまった。それをハンナ・アーレントとかエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』のように、ナチズムやファシズムをどうして生んだのかということを徹底的に考え、その上に戦後の民主主義をもういっぺん作り直した。日本は「1億総懺悔」で済ませてしまい、なぜみんなが軍国主義になびいてしまったか、1920年代のデモクラシーがどうして消えてしまったのか、そういうことへの反省が不十分だと思います。

 

必要なのは民主主義の潮流 期待したい「歴史総合」

 

 僕は今度の高等学校の「歴史総合」(2022年度から実施)には期待しています。今まで世界史が必修で日本史は必修ではありませんでした。しかも世界史も旧石器時代から始めるからフランス革命にたどり着いたところで3学期が終わってしまう。それではダメです。「歴史総合」は18世紀から現代に至る世界史と日本史を両方学ぶ科目なので、現代につながっている歴史を学べます。民主主義がどう培われてきたか。日本でも自由民権運動大正デモクラシーがあった。そういう民主主義の潮流が日本にもあって、戦後、日本国憲法が作られていく流れがわかり、それがいかに人類史的な意義を持っているかがわかる。

  改憲と言う人は「いまの憲法は自主憲法でない」と言い、「蒸留水のようで日本民族の血と汗が通っていない」と言いますが、憲法に民族性はなくていいと思いますよ。むしろ人類史の中で形づくられたものが日本国憲法だと見るべきで、例えば9条でも淵源は1928年のパリ不戦条約にあると思います。つまり戦争を違法化したという人類の知恵があるわけです。日本国憲法が人類の知恵の積み重ねの中で生まれたものだという意義を考える上では日本史と世界史を一緒に学んで近代民主主義の歴史や自由を獲得してきた歴史を知ることは非常に有効だと思います。さらに20世紀に入ると社会権が出てきますが、これはアメリカの憲法にもない。日本国憲法には25条や26条のように社会権が書き込まれている。それにはっきりした平和主義が書き込まれている。日本国憲法は最先端です。アメリカに押しつけられたというけど、アメリカよりずっと進んでいる憲法ですよ。それを「歴史総合」で学んでほしいと思っています。

 

 歴史を知ることで「鍛えられた民主主義」になるのではないかと思います。ドイツ人は二度戦争に負けていまの民主主義を手に入れました。そうすると日本はもう一度負けないと民主主義を手に入れられないことになりますが、それは、人類の歴史を学ぶことで回避できます。二度戦争に負けたドイツがどういう国づくりをしたかを学ぶことで日本をどうするかを考えることができるのです。

 

 近代立憲主義は、最初は西欧から始まったかも知れませんが、今や地球規模になってきていて、日本国憲法南アフリカの最新の憲法もそうなのだけど、人類史的な試行錯誤の中から生まれてきたと捉えるべきです。だから「日本人の憲法じゃない」という言い方はおかしくて、人類の憲法だと考えるべきです。

  私は、主権者としての自覚を持った人たちが育ってもらわなければならないと思っています。そして、それには教育とメディアが大きな力を持っていると思います。

 

知識を得るのはメディア 学ぶ権利を保障する側面も

 

―主権者を育てるメディアの役割とはどういうことですか。

 

前川 生涯学習社会と言いますが、人が学校を出てからいろんな知識を得ているのはメディアからです。テレビ、雑誌、新聞、それにネットです。人が生きていく上で学ぶ権利というものがあって、それは保障されなければならない。メディアはこの学ぶ権利を充足させる大きな役割を果たしていると思う。そのメディアが権力に侵されてしまうと危険です。僕は教育の現場が政治権力に侵されないようにすることに腐心してきましたが、まあ、随分侵されてしまいましたけどね。それで、むき出しの権力を抑えるものは合議制です。だから教育委員会という合議体をちゃんと置いておくことも大事だし、学校の中の職員会議も大事です。文科省で言えば、中央教育審議会とか大学設置・学校法人審議会とか、教科用図書検定調査審議会とか、そういう合議の場があって、大臣といえども合議体の結論を左右できないというルールを根付かせていくことが大事で、そうすることでむき出しの権力が教育の内容に及んでいかないようにする。そういうことを心がけてきました。旧文部省の人間は多かれ少なかれそういう感覚を持っています。むき出しの権力の危険性を感じながら仕事をしていて、ごく少数、権力になびく人間も出てこないこともないけれど、私の後輩の中でも健全な政治的中立性を保とうとする精神は宿っています。ですから文科省の人間には面従腹背は必要なのです。むき出しの権力に迎合しないために。

 

政治的に中立である、一つの政治的な権力に支配されないということはメディアでも同じでしょう。結局、民主主義のベースを作るのは教育とメディアだと思っています。

 

 2006年改正前の教育基本法の前文は日本国憲法の理想を打ち出していました。そこには、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と書いてあります。「民主主義を担う国民を育てる教育をするんだ」というはっきりとした目的意識がそこに宣言されていました。戦前の軍国主義をすり込んだ教育への反省からです。そこはジャーナリズムも同じだと思います。ジャーナリズムも民主主義を担う国民を育てるものです。そのためには、健全な批判精神のようなものを常に保ち続けることがジャーナリズムの命だと思います。主権者教育で言えば、ジャーナリズムを教育に生かすNIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)も大事で、文科省総務省とかけ合って、各学校に複数の新聞を取る予算措置をしたんですよ。東京新聞産経新聞とか、読売新聞と朝日新聞のように論調が違う新聞を学校で用意して読み比べる。ジャーナリズムを教育に取り入れることは大事だと思っています。

 

―健全な批判精神を育てる、ですね。

 

前川 そしてジャーナリズムの中に学ぶ権利を保障する側面があると思っています。私たちは、生涯にわたって、特に当事者性のある問題についてしっかりと考えることが大事です。いまだったら憲法改正もありますし、テロリズムをどう捉えるか、カルト問題とか、地球環境問題、食料自給率自由貿易第1次産業の保護の問題、少子高齢化での福祉、外国人労働者をどう捉えるか。そういう問題を、主権者である国民が自分の頭で考えていかなければならないのだという意識を持たなければならない。それは学校の勉強だけでなく、メディアを通じて入ってくる情報から考えるしかないと思います。メディアを通じて国民の中にさまざまな議論が起こっていくことが大事です。健全な批判精神のもとに我々の社会をどうやって創っていくべきか。しかも我々の中にどんどん外国人が入ってきます。もともと何十万の在日の人たちがいました。そういう人たちとも十分折り合いをつけていないのに、これからどんどん外国人が入ってくる時代に日本民族憲法などと言っている人々に政治を任せておいていいのかと思うわけですよ。多文化共生社会をどう創っていくかは日本社会が抱えている大きな課題だと思っています。

 

 

加計学園、申請書の補正完了のニュース

加計学園の実習は認可できるレベルなのか

 政局が混とんとしてきたが、加計学園獣医学部の設置申請について、設置審から求められた申請書の修正を終えて、9月27日に文科省に提出したと報じられた。

 実習期間と教員の訂正だったらしいが、これが本当にきちんと修正が可能だったのだろうか疑いをもっている。というのも、一学年160名という国内最大規模の学生が実習できる施設が四国内には見当たらないからだ。この問題については、国家戦略特区の平成29年1月12日開催今治分科会において、民間有識者として出席した猪熊 壽氏(帯広畜産大学畜産学部教授)が指摘している。1月12日という日付に注目していただきたいのだが、これは「獣医学部新設の告示(広域・1校に限る・平成30年4月開学)」がすでに出され、今治市が応募した当日にあたる。猪熊氏は、獣医学に知見を有する第三者として、この分科会に出席した人だ。

 加計学園の構想について、以下のような疑問を呈している。

“具体的なところがまだ書かれていなかったようなので、これはどのようにしてどういうところを体験させるのかとか、必須科目ということになると、160人という学生さんをどうやっていろいろなところに体験させるのかというのは、気になるところはございます。

 私は参加型臨床実習でひいひい言っているものですから、参加型臨床実習というところはとても気になったのですけれども、5年生以降の参加型臨床実習は体験型の実習ではな いのですね。必ず診療に携わっていかなければいけないということで、大人数でできない ということでとても手間のかかるものです。時間もかかります。160人を10人ずつ班に分け ても16班になりますし、そういう方たちを、今回は資料には愛媛農済、馬の牧場などと書 いてありますけれども、具体的にどういうところに参加型臨床実習をさせるのかというの はとても気になります。特に農済です。私ども帯広畜産大学は、牛が40万頭いて、獣医師 が200人いるところにいても、地元の農済さんに参加型臨床実習をお願いできなかった経緯 がありますので、この辺を具体的に、現場の先生方と獣医師といかに協力関係をつくるか、今後、その辺の具体的なところを考えないといけないのだろうと思います。

愛媛県だけで はなくて、オール四国とか、中・四国だとか、そういった観点が必要なのかなという気がします。 今、獣医学で問題になっているのは、感染症というお話が今までも出てきましたけれど も、実際の獣医学教育で、豚、鶏は実習ができなくて困っているのです。その辺をいかに していくのか。実際、地元の農家さんあるいは農業団体の方、そういった方の協力も必ず ないといけないと思います。”

 

 猪熊氏の発言から北海道においても獣医学部の実習先の確保に難儀していることがわかる。前回の記事でも示したが、四国4県を合わせても乳用・肉用合わせて牛は8万頭以下であり、豚も北海道のほぼ半数にしかならない。猪熊氏の発言中にある「馬の牧場」というのは、野間馬(日本在来種の小型の馬。今治市文化財)のことらしく、そんな貴重種で学生が実習するなど無謀としかいえない。

 設置審査は、この世界に冠たると銘打って新設される学部について、実習の場の確保、実習契約の見通しがついているのか厳正に審査してほしい。

 

日本の畜産業を数字で見ると

 農水省の畜産統計から、都道府県別の一覧表を作ってみた。飼育戸数や頭数の順位をつけて一位をピンクに、10位までを黄色にして眺めていると、いろいろな解釈が思い浮かぶ

 まずわかりやすい印象として、畜産業は北海道が最も盛んだということ。牛がダントツで一位なのはもちろん、豚やブロイラーも飼育数ではベスト10に入っている。次が鹿児島と宮崎。日本の畜産は、北と南に偏在している。

 獣医学部新設についての国家戦略特区の議論の中で「獣医学部は東に偏りすぎ」というのがあったが、一覧を見ると、それも妥当に思える。西は、九州は割合に畜産が盛んだが、近畿や中国は全国順位で下位県が多い。

 さらに、日本海側はいったいに数字が低い。自分自身が福井県出身だからすぐに目がいった。牛も豚も総数47のうちの40番台。極端に少ない。たんぱく源として魚をよく食べるからだろうか、とか、宗教(浄土真宗)のせいかと考えた。

 現在では流通が発達しているから畜産県≠食肉消費多量県だろうが、私の幼年時代、福井では牛も豚も鶏も肉というものをあまり食べなかった。そんな食文化は案外、根強く残っているのかもしれない。

 と、前置きが長くなったが、畜産の現状はこうなっている。

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加戸氏の獣医学部熱望論に根拠なし

加戸氏の獣医学部熱望論は畜産の実態と防疫体制から根拠薄弱とわかる

  これまでこのブログでは公私協力方式での大学誘致には先行き不安があることを紹介してきたが、国会で「地元がいかに加計学園を歓迎しているか」熱弁をふるったのが加戸守行氏だ。加戸氏は、今治新都市構想を愛媛県今治市が策定した当時の愛媛県知事なので、構想の中核となる大学誘致が宙に浮いたままでは、失政の証拠が残っているようで気がかりなのだろう。

 実際、知事時代に熱心に誘致していたのは松山大学の総合マネジメント学部であり、獣医学部である必要はまったくないのだが、「後付け」で鳥インフルエンザ口蹄疫対策を持ち出し、愛媛県の苦闘を述べていた。宮崎の畜産農家は、この言葉をどう聞いただろうか。

 農林水産省は、家畜統計を毎年、きちんと公開しているので、抜粋して掲載する。牛の北海道、豚の沖縄など、抜きんでている県と比べても仕方がないので、海に面した「防疫体制が気になる」県を抜粋して表にしてみた。愛媛県が他県に比べて、「防疫体制に課題がある」わけではないことは理解していただけると思う。

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今治キャンパス(獣医学部)には図書館がない

図書館がない、獣医学部なんて

 

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違法ではなく、大学設置条件に外れているわけではないが、予定されている加計学園獣医学部校地には図書館がないようだ。

 これは残念だ。

 確かに、図書館は大学にあればよいので、一学部が備えるようにという「大学設置基準」はない。しかし、今治市のキャンパスに学ぶ学生が岡山県のキャンパスにある図書館に通うなんで無理に決まっている。

 図書館は、蔵書という形で過去の知識を集積するだけでなく、自習とグループワークを組み合わせるなどして、知の交流の要となる施設だ。利用を地域に開放するなら地域貢献の場としても重要な役割をもっている。

 今治キャンパスは広大な土地を誇っているらしいが、図書施設(図書館ではなく図書室なのか)はどんな規模になるのだろう?大学設置基準としても、遠隔地のキャンパスなら一学部であっても図書館を設置すべきと変更すべきでは、と思う。